なぜだ!?

[三國志]
いやネ、無双やってて思ったんだけど・・・・・
曹操には、曹彰曹丕曹植
孫堅には、孫策孫権
って有能な子がいるのに、劉備には、劉禅劉理劉永てロクな子がいないんだが・・・


違いといえば、曹操孫堅には武があるが劉備には無いってことか?
実質、孫権曹叡司馬炎の世継ぎもグダグダだったからなぁ〜
なんか、最近の平和ボケした親子関係と戦時中の親子関係の違いに通じるものがあるような気が(ry



軍師と丞相


巷では、希代の軍師は諸葛亮だと言われているが、実質、希代の軍師であったのはホウ統であり、諸葛亮は希代の丞相であったと思われる


赤壁の戦い
ホウ統   攻(呉のスパイと共に魏陣営に潜り込み、船を鎖で繋げさせた連環の計)
諸葛亮   (矢を集める、東南の風を吹かせるなどは、演義にはあるが正史には記述なし)


成都攻略戦
ホウ統   攻(軍師として従軍・蜀平定上中下3策を提案、策によりフ水関を奪取落鳳破で死亡*1、以降は諸葛亮が代行)
諸葛亮   防(荊州に残り、税を調達し軍事費に充てる、ホウ統戦死後、馬超の猛攻を離間の計により防衛)


漢中平定戦
法正*2   攻(唯一軍師として随行、献策し、平定)
諸葛亮   防(成都で留守を守り、前線に兵員と兵糧を補給)


定軍山の戦い
法正    攻(軍師として従軍、黄忠に策を授け、逆落としの計で天蕩山・定軍山を奪取)


夷陵の戦い
諸葛亮   防(八陣図の石陣を布き、劉備の撤退を助ける)


南蛮夷平定戦
諸葛亮   攻?(献策していたのは、ほとんど黄夫人らしい)


天水の戦い
諸葛亮   攻(唯一、軍師らしく献策をし、姜維と天水を確保)


街亭の戦い
諸葛亮   防(馬謖が指示通りに動いていれば防衛)


陳倉の戦い
諸葛亮   攻(カク昭に完敗、病没により入手)


五丈原の戦い
諸葛亮   攻(膠着状態のまま、諸葛亮病死で終了)


やはり、どう考えても従軍する軍師にはホウ統か法正であって、諸葛亮は、君主の側に仕え、後方支援の策を巡らす丞相だと思う



*1:劉備と間違われたため戦死するが、軍略とは全くもって関係ない

*2:ホウ統亡き後の副軍師、実質軍師